私の作る路の横へ、置きたいもの。
今日は諸事情で、あまり元気がないのですが
ブログを中々、更新出来てませんので
下書きをかるーく載せておきますね。
後日、詳しく、書くかもしれませんわ。
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私は、相手の痛みに溶けているわけではない。
ただ、その人がなぜそこに倒れているのか、その背後の構造が見えてしまう。
そして、見えてしまったものを無駄にできない。
だから私は、優しい人に見えるのね。
けれど私の中では、それは慈悲というより、観察と分析と研究でもあり、当然の善性の行いの結果でもある。
誰かにとって私は、オアシスな事が多いと言われる。
でも私自身はただ、目の前の人が、私の持ちうる知識で、水の場所まで辿り着けますように、と行動していただけ。
乾いた喉を潤せるよう、示していただけなのです。
ねえ、でも、私には私が居ないの。
水はあるよ、飲んでいるよ、喉の渇きなんて平気よ?と、思わせてしまうから。
私の水は、何処にあるのかしら。私は、知らない。
いいえ、見つからなくても、私は前へと進んでいく。喩え、私の前に路はなくとも。
私は路を、道程を、作るべき理由があるのだから。
さて、明日も、歩まねば。
