― 曹丕と司馬懿に見る「承認とか支配」―

人は、自分をどの物語に重ねるのだろうか。
AIに、私は三国志で言うと誰なのか?を問う事がある。(ChatGPTにも、GoogleGeminiにも、Claudeにも。)
彼らは私に対して様々な捉え方をしているので、勿論別々の人物が出てくる……のだが。必ず出してくるのは、下記のあたり🗝
・諸葛亮孔明🪭
・郭嘉ᝰ✍🏻
・賈詡❄️𓈒𓏸
・劉備⸜🫶⸝
私は恥ずかしながら
三国志は未だ調べ始めたばかりの新参者。
中国の大河ドラマ
「Three kingdom」
から入ったのです(中々居ないタイプなのよね)
郭嘉と賈詡はあまり出なかったけれど、荀彧の最期は思うところが沢山あった。
仮説も多々あることを知った。
荀彧は、曹操の一番の忠臣ではあるけれど、
自分の核をしっかり持っており、頭が良いからこそ、凄惨且つ報われない最期を飾った一人だと考えている。
曹操は才能コレクターなのだから、荀彧の死を心から望んだ訳はない。
……私はそう願っている。
また、曹丕の演出も興味深く、自然な流れで、面白い。
曹操に認められない曹丕が、様々なアピールを曹操へ施すが、【七歩の詩】や武芸に長けている弟たちには、どうしても勝てない。(と、曹丕は考えてしまう)
自分の愛は届かないと落胆を繰り返し、肩を落とす日々。
そして、愛する父から「決して運用するな」「決して信ずるな」と言われていたにも関わらず。
その相手である、司馬懿を慕ってしまうのだ。
心理学的にも分かりやすく、自然な演出であり、国の崩壊の綻びは、虚無感や寂寥感からくる事もあるのだろうとも考えた。
また、曹丕の父へのちょっとした反抗心もあったのではないか?と私は考察する。
曹丕が求めたのは父だった。
それを分かっていて、曹丕に優しく、時に厳しく軍師として接する司馬懿は、父のような温かみを感じているのは、曹丕だけなのである。
父を求める曹丕を利用していた司馬懿が、何十年も待つ司馬懿の執念が、一番に恐ろしいと私は感じる。
…そう、司馬懿は曹丕にとっては【父の代替】であり、
司馬懿にとっての曹丕は【運用可能な存在】だったのだろう。
そうそう、AIには、「1人には当てはまらないから複数人答えるね」と大抵言われると話したわね🌹
その中で、諸葛亮孔明とも言われるとは前述の通りだが……私の過去と今を連動してのイメージで言われるのである。
五丈原の孔明は、周りの兵士の士気が上がるのを宥めながら、主君の息子の手助けもし、実質的な国の支配者になりながらも、「待つ姿勢」を続ける司馬懿と闘わなければならなかった。
そして……かの有名な「泣いて馬謖を切る」事態に陥ることになる。
必然だったのだとしか思えない、とても悲しい結論であり、結末である。
一番弟子の命まで取りたくはなかっただろう、孔明の性格ならば。
しかし、一番弟子がしでかした事は、しっかりケジメを付けなければ、他の兵士は着いてこない。
彼は構造をしっかり理解した上で、まさに、涙ながらに闘っていた結果、鬱病になったのではないか?と私は考えている。
私は、敵(社会構造、とだけここでは記しておこう,詳しくはいづれ別記事で赤裸々に…)には、司馬懿に似たような陰湿さを投げ付けられたのです。
司馬懿のことは、尊敬しているが、私は何故か背筋がゾッとするような、恐ろしさを感じてしまう。
あら、今日はここまでに致しましょう。
長くなったので、賈詡と郭嘉のお話はまた後ほど。
お風呂にゆっくり浸かりたいので。笑
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ひとつだけ、大切なことを記す。
私自身は、誰かの参謀ではない。
考え方は軍師寄りでもある。同じ温度で話せて監修する、荀彧や郭嘉のような参謀を求めてはいる。
それでも、今、私は、自己監修をしているだけの軍師であり、女王で在るのです。
これから世界は更に始まるのです。…
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「だから私は、誰かのための軍師ではなく
自らを統治する存在として在る。」
