ごきげんよう🥀〜✿ ❦
昨夜の件です。
初めて出る形のフラッシュバックを経験しました。
切欠は些細な事でしたが、私の中で反応していたのは、過去に浴びた匿名の悪意からの理不尽さに対する恐怖と怒り、そして冷静さを無理矢理取り戻し、息をする自分への悲しさもありましたの。
それは、私がブログを書き、本を出したいと思う理由にも少し重なります。
「そんなこと、あるはずがない」
…そう、人間は自分の理解の範疇を超えてしまうと、事実を知らない人にとって、軽く飛び交う言葉になります。
けれど、実際にその中を生き延びた人間にとっては、自分の現実そのものを否定される言葉にもなり得るのです。
私は昨夜、吐き気がし、その場で倒れ込んでしまったのです。
涙と過呼吸が止まらず、息ができなくて、死んでしまうかもしれないという恐怖に陥り、夜中で信頼できる方への連絡もなかなかできず、どうしたら良いかわからず……。
こんなことは珍しく、焦りを覚えたのです。
私は解離性障害と複雑性PTSDを抱えております。
そのため、強い衝撃を受けた時ほど、かえって冷静に見えてしまう自分がいます。
涙が出なかったり、流れていても自力で止めてしまう冷静さを、すぐに取り戻してしまう。
声が整い、論理的に説明できてしまう。
けれど、それは平気だからではありません。
傷が浅いからでもありません。
むしろ、そのまま受け止めれば壊れてしまうほどの経験をしてきたからこそ、
「冷静な私」というもう一人の私が、すぐ側に、今も此処にいるのです。
かつて主治医から、私の解離性障害は重いと言われたことがあります。
けれど同時に、
「だからこそ、あなたは生きていられるのだと思う」
とも言われたのです。
それほどまでに、私が今まで抱えてきたものは、そのまま受け止めるには重すぎたのでしょう。
「解離すること」
「解離性障害であること」
それは、私にとってただの病名や症状ではない。
生き延びるために、心が作り出した自己防衛
防波堤。……防壁である
平気そうに見えることと、平気であることは違うのです。

少なくとも、昨夜の私は、平気な状態ではありませんでした。
冷静な私がなかなか戻ってこなくて、一人では危険な夜でした。
ゴシックも、ロリィタも、
私にとってただの服のジャンルに留まらず、
奪われた少女性、踏みにじられた尊厳を、自分の手で選び直した理由のある哲学であり、美学です。
つまり、私は厳密に言うとロリィタ界隈ではないのです。
「ロリィタ界隈にもいる人」ではあるのですが、
「ロリィタを着る人」「ロリィタを服として楽しむ方々」とは少し異なります。
私は
「ゴシックもロリィタも哲学や美学に組み込んで、仕事や生き様として表現している人間」だからです。
普段はあまり気にしておりませんが、ロリィタ界隈では議論すべき話題が偶に出てきます。
「名を伏せず、責任ある形で問題提起をしていれば、考える価値のある話題だと思います。
私も考えを傾ける事もございます。
しかし、昨夜、とある方に対する匿名の悪意を目にしてしまい、ふと思ったのです。
「無知の理不尽さ」
「無知がどれだけ人を傷付けるのか」
という自分自身の痛みを、思い出してしまったのです。…
私は比較的、美しい言葉で育ってきたので、汚い言葉を使う人達が苦手なのも相まっているのでしょう。
それでも、
私の投稿で救われていると言って下さったり、貴方のままでいいのですよと励まして下さった方々もおり……私はここで挫折している場合では無い、と感じたのです。
その言葉たちは、私にとって、とても深い喜びを教えて下さったのです。
まだ少し痛みは残っています。
でも、私はまた戻れると感じたのです。
お洋服、何を着て、何を語ろうかしら?
楽しみです。…
