私は、能力がない人間だったのではない。
能力を能力として認識出来ない環境に長く置かれていた為であるし、生存戦略として使い続けてきた私の中の「常識」でもあった。
人の悪意は感情としては理解できない。
けれど、構造として分析してしまえば、心理学として理解は出来る。分からないものがあると人は不安になるが、私はそれを隅から隅まで分かろうとしたのです。
ええ、そうしなければ、生きて来れなかったのです。
それは冷たさではなく、自分を壊さずに現実を見るためだったのだろうし、とうの昔に私は壊れていることも知っている。
しかし、社会人として、私は壊れなかった。
だからこそ、被害者なのに、疑われる裁判の構図ができてしまう。
防衛本能が他の人と違うだけなのに。苦しいのは変わらないのに。
成果を出したから、被害の重さまで疑われてきた日々。
被害者は、壊れても疑われ、壊れなくても疑われる。
その構造を書かなくては、でも今日は、フラッシュバックが酷くて、ごめんなさい。
また後日に。